恩師の言葉

2022.02.10

シスター菅野敦子

経歴
聖心女子専門学校:英語科
不二聖心女子学院中学・高校:寄宿舎主任・英語
聖心女子大学:学生課・学生課外活動課課長
不二聖心女子学院中学・高校:英語・宗教・高2アメリカ体験学習5年間
聖心女子専門学校:保育課
退職

心に残っている不二聖心での思い出・心の支えとなっている出来事

私は、1981年ローマで終生誓願宣立後、4月から不二聖心中学・高校の寄宿舎主任・英語教師として派遣されました。校長は若くて、溌剌としていらしたシスター奥井博子。私は30歳後半の頃で、保護者の方よりも若い年齢でした。当時は頼もしい教育相談室がありました。男性の池谷先生が生徒の問題・助言をしてくださっていました。ある時、先生がこのようなことを私に助言してくださったことを覚えております。「シスター。この寄宿舎には男性がいないのです。シスターは父親の役目を果たさないといけませんね。」と。私は「父親」にはなれませんでしたが、生徒指導は厳しかったようです。

寄宿の仕事は、生徒たちが寝静まってからも続く仕事です。いつの間にか鋭い「感」が養われ、何時頃見回りに行ったらよいかもわかるようになるのです。ある時、こっそり寝室に参りました。何か胸騒ぎがしましたので、「ここぞ!」と思い、怪しげなキュービクルの前に立ちました。ヒソヒソ話をしているその時、「菅野がね・・」という言葉が聞こえましたので、私はサッとカーテンを開けて「はい。何でしょうか?」と仁王立ちに立って彼女たちの前に姿を見せました。彼女たちの悲鳴はご想像にお任せしましょう・・・。ここに書けないほどの面白い、楽しい物語が数々ございます。

さらに時は経ち、「50にして天命を知る」年齢で、再び不二聖心女子学院に戻って参りました。雄大な富士山と箱根連山、前方に夕日に沈む沼津港の美しさは、10年前とほとんど変わらず、何の違和感もなく、私を温かく迎え入れてくれたことを懐かしく思い出します。熟年期に入ってから、不二聖心女子学院の学校現場で働かせて頂いたことが、後にこのように大きな実り豊な経験となるとは夢にも描いたことはありませんでした。

先ず最初の学年は、中二松組でした。担任蒔苗先生で、28歳の若くて、美しい声の持ち主。副担が私、50歳の人生半ば。中二、中三の年齢は沢山の問題を起こし,扱いが大変でしたが、一番心に残る、働き甲斐のある実り多い10年だったと思っています。先生を罵り、頭を踏みつけ、規則に反発しながら、逞しく元気で、自己主張をする彼女たちは、私にとりましては、愛して止まない生き甲斐を感じさせてくれた生徒たちでした。ある年、私が「中三の担任」と発表された時、生徒たちが「ぎゃ~」と大きな声で騒ぐ声を耳にしたときは、中三松組への階段を上る足取りは重かったことを覚えています。しかし、そのうち一番心が通じて、教室の肩隅で「シスターはどうしてシスターになったのですか?」と問われたこと。学校のパーラーでは私たちは反発したけれども、「どんなに良い学年になったか」と語りあったものです。このように過ごした不二聖心の生徒たちは、よき社会人、母となり、先生を超えて、「変容」している姿を見るにつけ、教師にとって「これこそ」が一番の醍醐味だと嬉しく思っております。

心に残る貴重な思い出とは、保護者の皆様から受け入れられ、慕われたことでしょう。私が生徒たちに使った毒舌は有名ですが、それを許し、私のシスターとしての在り様、また教育者としての生き方を育てて頂いたように思っています。それは生徒たちでもありましたが、保護者の方々のお陰であったと自負しております。

不二聖心を去る時、「わが人生に悔い無し」という感無量な心情で、富士山を背に東京に向かいました。或る中二の学年が、シスターから一番救われた言葉は、「聖心は【あなた方を見捨てません】」と言われたことでした。」と。これは私にとって宝物になりました。

卒業生へのメッセージ
不二聖心卒業生の皆様、私も「人生の秋」を迎える年齢になってきています。不二聖心で受けた「善いもの」を自分の子供たちに、出会う人々に惜しみなく与え、引き継いでいく人となって下さることを願っています。

沢山の楽しい思い出をありがとう!!