恩師の言葉

2022.05.13

シスター山路咲子

経歴

東京聖心女子学院 
不二聖心女子学院 
札幌聖心女子学院 
小林聖心女子学院 
東京聖心女子学院 
不二聖心女子学院 

支えとなっている言葉

「イエズス様のみこころの愛に信頼と希望をおいて生きよう」 
「喜びに恵まれない人を幸せにする為に 
今日何かをしなさい。 
悲しみを払いのける為に、何かをしなさい。 
誰かの夢が実現するために尽くしなさい。 
忙しいといわずに、親切に挨拶し、 
旧交を暖めなさい。 
明日は、飛び去って行く。 
晩年は、とりわけ早足で走り去る。 
明日、値うちが出てくることを 
今日行いなさい。 
誰かが苦しみに打ち勝てるように 
助けてあげなさい。 
親切、友情、快活、奉仕・・・ 
こうしてはじめて、生きる真の喜びを知り 
天の国の幸福をこの地上で見出すのです。」 
作者不明 

心に残っている不二聖心での思い出

私は、神様が私と巡り合うように計らってくださった様々な分野の人々を通して、育てられ、今を迎えています。その中で、不二聖心は、私にたくさんの貴重な出会いの場を作ってくれました。思い出は尽きることがありません。 
私の人生にあって、1967年、聖心会の修道院に足を踏み入れた最初の場所である裾野の地は特別な所です。不二の生徒さん達と関わることになった初めの頃、まだ小学校のかわいらしい生徒たちと過ごした寄宿舎での生活を思い出します。一緒にタケノコ掘りをしたり、30頭もいた牛舎をのぞいたり、3000羽の鶏のいた鶏舎に並ぶ沢山の玉子を見たり、お茶畑やブドウ畑に散歩に行ったり、楽しい週末を過ごしました。1990年頃、二度目に不二に就任した時は、中高生と英語や宗教の時間を共に楽しく勉強した時期でした。皆さんにとっては、厳しい生徒指導の先生だったかもしれませんが、皆と奉仕活動に打ち込んだこと。5月のマリア様の戴冠式のための花の冠作り。中三の卒業研究、キャロルへの打ち込み、一緒に働いた「みこころの日」の清掃活動。クリスマスの老人ホームへの訪問。休暇に入る前の大掃除。英語の発表会のための練習。卒業式で流した、涙。どれも不二での思い出は忘れられません。 
1998年、不二を去って、一人アメリカの大学院で学ぶために出かけた年が長かった聖心心女子学院で過ごした最後の年となりました。アメリカでの同時多発テロの大騒動の年に帰国後、卒業生の一部の方々とは、今でも毎月、(コロナ禍では、Zoomで)聖書の会という形で、お会いする機会に恵まれ、ご縁が続いています。 
朝の鐘の音と祈りで始まる一日。あの雄大な自然に囲まれた不二での生活。みなさんを通していただいた多くの宝物に心から感謝しています。 

卒業生へのメッセージ
あの頃の皆さんは、今では立派に成人され、それぞれの場で、不二で学んだことをしっかり心で生かして生きておられることと想像しております。社会のためになる女性として、誇りをもって生きてください。創立者マグダレナソフィアがそうであったように、謙虚に、でも、自信をもって、今日、自分の目の前に巡ってきた現実から目をそらさず、自分に正直に、生きるのが一番です。至らない自分であっても、神の力が働いて、人に役立つ人間として生きることができると信じ、お互いに助け合いましょう。転んでも良いのです。もう一度起き上がって新たに出発です。弱さ、足りなさがあっても、ありのままの自分でいい、と自分に言える人でありたいです。私は、毎日、「ありがとう」「ごめんなさい」「これでいいですか」「お世話になります」「よろしくお願いいたします」こんな言葉を大事にして生きています。何よりも、すべてのことの後ろで、喜びや悲しみを共にし、行く道を照らしてくださる「イエズスみこころの愛」をしっかり抱きしめて、周りの人々、とりわけ、世界中の弱い立場にある人々の為に必ず、祈ってください。私も、あなた方のためにいつも祈っています。