恩師の言葉
2022.10.30
野村春美先生
経歴
(1)経歴
1991年3月に不二聖心女子学院高等学校卒業後、聖心女子大学に進学。1995年大学卒業後、不二聖心の寄宿舎に就職。社会科の授業も担当。6年後、大学院進学のため寄宿舎の職員を退職したが、非常勤講師は続け、2004年4月、大学院卒業後、不二聖心の社会科教員として再着任、現在に至る。
支えとなっている言葉
「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時。死ぬ時…人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」(コヘレトの言葉3章1~11)
引用が長くなるので途中を省略しましたが、いろいろとものごとが立て込んでいて余裕がなかったり、思いもしないことがやってきたりするときに思い出します。どの先生に、あるいはどの状況で教えていただいたかは全く覚えていないのですが、在学時のどこかでうかがい、それ以来、大切にしています。「なぜ?どうして?」と思うことに直面することは日常生活でも仕事でも多々あり、不安になったりうろたえたりすることもあるのですが、この言葉を思い出し、「今はそういう時なのだ」と思い直して前向きになるきっかけとなる言葉です。
心に残っている不二聖心での思い出
生徒として在校していた時と教員としての時と合わせると、なんと人生の7割近くを不二聖心で過ごしているので思い出は多々ありますが、生徒としての思い出だと、やはり歌です。中1でシスターの宗教朝礼のバックで同級生数名と歌ったことから始まり、毎年のクリスマスキャロルの練習、高校のグリークラブでの活動、と中高6年間、いつもどこかで歌っていました。この時の楽しさが現在でも合唱を続けているモチベーションになっています。
教員になってからは、その時その時の生徒との関わりがあります。「先生なんて嫌いだ~!(涙)」と叫ばれたことあり、夕の祈りの参加をめぐって、かくれんぼのようにベッドの下などに隠れられたことあり、自習室の着席をめぐって生徒と自習室と寝室を追いかけっこのようになったことあり…。こう書くと大変なことばかりのように見えますが、そのやり取りの繰り返しから、親しく話してくれるきっかけになったことも多くありました。また、好きな音楽や映画などの趣味の話や行事の運営、クラブなどでの活動は、年齢が異なっても一緒に楽しみ、共有できる経験となっています。生徒の好きなこと・関心のあることを知ることで、刺激をたくさんもらっています。
卒業生へのメッセージ
自分を振り返ると、在校時にあったいろいろな経験や感情は、その時はしんどかったり大変だったりしていたことでも、それこそがしっかりした自分の核になっていると感じています。卒業生の皆さんと話をする中でも、そう感じている人が少なからずいるなあと思います。
不二聖心はずっと変わらないところと、社会の状況に合わせて柔軟に変わるところを併せ持っています。校舎の並びや外観、大きくなってはいるものの校舎を取り巻く木々や自然環境、アンジェラスの鐘の音、あるいは年ごとに示される学校目標から見える価値観など…。急速に変化することが求められる社会の中で変わらないものがある、というのは大きな心の支えになると思います。感染症対策のため、今は「来たくなったらいつでも来てください」となかなか言えないのが心苦しいのですが、不二聖心は変わらずに、富士の裾野にあります。都会の喧騒から、あるいはめまぐるしく変化することを求められる毎日から離れて、自分の土台を確かめたくなった、変わらない風景を見たくなった、静かに広々とした空や富士山を見たくなった…そのような卒業生の皆さんの思いに答えられる場所であり続けるのも不二聖心の使命の一つだと思っています。卒業生の皆さんの思いが早く実現し、再び卒業生の皆さんと気兼ねなく不二聖心の構内でお会いできる日を心待ちにしています。